十六夜の月とは?読み方や意味と月待ち講について
お月見というのは、最近ではニュースでその当日に聞くぐらいになっていませんか?
「ああ、そういえば今日は十五夜だったのか」という感じですかね。
それで急いで外かベランダに出て「お、月出てる出てる!以上」みたいな(笑)
それでは話が終わってしまうので、今回は十五夜ならぬ十六夜とか、「月待ち講」もありますよというお話をしたいと思います。
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十六夜とは?十五夜とどう違うの?読み方と意味も知りたい
十六夜とは、陰暦(旧暦ともいう)の8月16日に見える月のことをいいます。
以前の記事では、旧暦の8月15日の月のことを「中秋の名月」といいますよとお伝えしました。
ここから補足となります。
時代的なことを書くと、中秋の名月を鑑賞する風習は中国の唐の時代から存在していて、日本に伝わってきたのが平安時代だといわれています。
最初のころは、やはり貴族の間で流行した十五夜でしたが、時とともに、武士から庶民へと広まったということです。
それとは別に、もともと日本には農耕行事と関係した、月見の風習が独自に存在していて、十五夜は芋などの収穫の時期と重なることから、「芋名月」と呼ばれる由来となっています。
中国から伝わった風習と、日本独自の風習が合わさったものということです。
新暦(今の暦)に直すと毎年日にちが変わる、というのが覚えておきたいポイントです。
次に、十六夜の読み方ですが、2種類あります。
1.じゅうろくや
2.いざよい
2の「いざよい」ですが、躊躇う(ためらう)と同じ意味の「いざよう」が名詞になったものです。
「心が迷ってなかなか決心がつかない」ことですね。
十五夜の月よりも十六夜の月が遅い時間に出てくるため、月がためらいがちに出てくる様を表現したと言われています。
満月である十五夜の月より、若干欠けた姿になるものの美しさとしては非の打ちどころのない十六夜の月。
月が出る時刻が、1日あたり約50分ずつ遅くなっていくのも驚きですが、昔の人の詩的な表現には深いものを感じます!
試しにパソコンで「いざよい」と打ってみてください。ちゃんと「十六夜」と変換されますよね?
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「月待ち講」という風習があったらしい
十五夜、十六夜はおろか、古くは十九夜、二十三夜、二十六夜などの特定の月齢の月が出るのを待ちわびながら、皆で飲食をするお月見の風習が「月待ち講(つきまちこう)」です。
「講」というのは同じ信仰などを持つ寄合の意味で、月に神仏を結び付けて拝むのが「月待ち講」です。
江戸時代に、文月(旧暦の七月)二十六日の二十六夜の月を待つ「月待ち講」が当時流行っていました。人々が今か今かと待ちわびていた二十六夜の月は、ごくごく細い下弦の月。深夜にやっと昇り始める細い細い月を、夜通し待ち続けていたと言われています。
月を待ちわびるのをいいことに、江戸の人たちは飲んで歌って踊って、秋の夜長の大宴会に興じていたのでしょうか。当時の浮世絵にもその光景が残っているそうですよ。
現代にも復活させてみるのも風情があって良いかも知れませんね。
まとめ
十六夜は「いざよい」と読む。覚えておくとあなたの素敵度がアップするかも知れません。
そういえば、お月見に限らず自然を崇拝する風習って日本には数々あります。これも農耕民族の日本人ならではの習わしだなと思いました。
普段、夜の帰り道で何気なく見つけている月ですが、人類が始まって以来の長い「お月あい」ですからたまには気にするのもアリかも知れませんね。
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